電報の中でも「弔電」というのは、極めて形式的で、日本的なもののように感じられます。何故かというと、「弔電」は本人が目にするものではないからです。「弔電」の目的が、あくまで亡くなられた方の身内の人達への哀悼の意を伝えたいということであれば、それはそれで納得できないことは無いのですが、電報で伝えるようなものでは無いような気がします。家族が動転している時にもらう「弔電」はどれ程の意味があるのか、自分の経験としても疑問を感じています。
[参考]
弔電
弔電・お悔やみ電報のALSOK
http://alsok-denpo.com/shop/c/c20/
悲しみは通常時間と共に醸成されるものですから、本当に哀悼の意を伝えるのであれば、後で訪問してもらうなり、手紙を書いていただく方がずっと誠実な方法かなと感じられます。偏見かも知れませんが、「弔電」は亡くなられた方の社会的存在価値を証明するものとして、お葬式の時に読み上げられるためにあるようにしか思えません。日本の社会は、何事につけ形式が整わないと格好がつかないということなら、「弔電」というスタイルは続くかも知れませんが、「祝電」に比べたらその存在意義は極めて小さいような気がします。「弔電」というのは、文面では哀悼の意を告げながら、その底には亡くなられた方との関係を一切清算するような響きがあって好きではありません。とは言え、「弔電」を送る側は形式に拘っている人ばかりではなく、本心で悲しみ、残された身内の人に心情を伝えることで、自分を慰める人もいることでしょう。「弔電」をもらった身内の人も、それによって初めて故人の広い交友関係を偲ぶことになるかも知れません。ただ、葬式のスタイルが変わりつつある今、電報の中で最も早く廃れるのが「弔電」のような気がします。
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